889 名前:786[sage] 投稿日:2006/01/24(火) 23:12:02 ID:sKnx5wOq
>>860続き
そのまま何となしにお互いの顔を見つめ合う。
樹は、少なくとも表情だけでいえば冷静に。
麻弓は、脳全体がのぼせた状態でぽけーっと。
会話も、行為も、何をするでもない、ただ互いの視線を交わすだけの時間。
樹に言わせるならそれは無駄に消費されていくだけの何の価値も持たない時間なのかもしれない。
ただ少なくとも、今この場においては意味のあるものであることは確かで。

「麻弓……」
「……ん?」

 何時もの彼からは想像出来ない優しい声色は麻弓の鼓膜を震わせ、蕩け切っている脳をさらに融解させる。

「前から言おうと思っていたんだけどさ……」
「……なーに?」

 閑静な部屋。二人きりの男女。見つめ合う二人。
 その三つの要素が混ぜ合わさることによって醸し出される雰囲気は溺れるほどの甘さを生み出し、

「お前、キス下手すぎ」
「……」

甘さを生み出して、

「最初の頃からちっとも進歩していないじゃないか。もう子供じゃないんだから、いい加減、舌を使うことにも慣れたらどうだい?」
「……」

ら、らぶらぶで、

「それにあのキスで互角だって? 冗談じゃないよ。俺様の美技と比べたら、ま、精々二分がいいとこだろうね。
知ってるかい? 唇を合わせるだけの行為ならチンパンジーでもするってこと」
「……緑葉くーん」
「なんだい?」
「てりゃっ」
「はうぁ!?」

甘あ……ごめんなさい。
極上の笑顔で樹がかけているノンフレ眼鏡の下の隙間から二本の指で目潰しを放つ麻弓。
不意の一撃を食らった樹はそのまま麻弓を抱きかかえていた腕を放し、目を押さえながら後方のベッドに倒れた。

「いや、麻弓、これは本気で、ちょっと、やっちゃいけないことだろこれは。ほんとに、これ、痛たたたた」
「自業自得って言葉、優秀なあなたなら当然ご存知よねえ? ……たまーにまれにめずらしく? いい雰囲気になったなーと思ったら、これなのですよ……」

ベッドに仰向けになってのた打ち回る樹の太股の上で麻弓はやれやれと小さく溜息を付いた。其処彼処にあったはずの桃色っぽい空気もあっという間に霧散している。
うん。なんとなく分かっていた。期待していたわけではないのだ別に。そもそも私達にそーいうのを求めるのはあの二人と違って無理そうだし。うん。そこわりと重要。

「何か言ったかい?」
「いえいえ何にもさっぱりこれーぽっちも」
「というか眼鏡使用者に対して、いやそうじゃなくてもこの攻撃は危険極まりないってことぐらい、注意するまでもなく理解してもらいたいものなんだけどね。切実に」
「ご心配いただかなくともこんなこと緑葉くん以外の人になんかしないし」
「だから、だよ。それに本来、空手に代表される目潰しという技、さっき麻弓がやった二本抜き手の目突きは実践じゃ余り役に立たない技なんだよ。
人間は本能で目を庇うし、目という器官は何かが掠めるだけでも視界を塞げるんだからね。わざわざ一点を目指して当てるまでもないだろ」
「それなら何の問題もないじゃない。ちゃんと命中した上に、私は目そのものにダメージを与えるつもりで当てたんだから」
「ああそうですか……」
「それと」
890 名前:786[sage] 投稿日:2006/01/24(火) 23:13:08 ID:sKnx5wOq
よっという声と共に身体を浮かせた麻弓は、そのまま樹の腹に跨り、

「ぐはっ!? し、視界が塞がっている、げほっ、俺様相手になんてことを……」
「大袈裟ねー。別にそんな思いっ切りやったわけじゃないでしょ?」

所謂マウントポジションを取った。
ろくに身構えられない状態で突然腹に圧し掛かられた樹は呼吸を乱され咳を繰り返す。

「げほげほっ……ふむ、確かに、さほど勢いはなかった。それなのにこの重さと衝撃……ということはつまり、そこから自然と導き出される答えは――」
「緑葉くーん? あなたが生きるのも死ぬのも、どこかに内臓売り飛ばされちゃうのも、その選択の自由が誰の手にあるか、あえて言わなくても分かるわよねえ?
それ以上言ったらあ、麻弓ちゃん、自分でも何しちゃうか分からないかも〜」
「分かった。分かったから、とりあえず今からしようとしていることは止めてくれ。絶対に」

目の前は暗闇だというのにその先に何かがドス黒い炎を纏って蠢いて見えるのは何故だろう。
その可愛い声色は何故か背筋をゾクリとさせ、漠然とした戦慄を強固に収束する力を持つようで。

「……それで? 何か言いたいことがあったんじゃないのかい」
「ああ、そうそう、そうなのですよ」

 樹の腰辺りにペタリと腰を下ろしたまま麻弓はわきわきと動かしていた手をぽんっと打つ。

「緑葉くん、さっき私のキスが下手だー、とかのたまったじゃない?」
「ああ言ったね。確かに俺様は麻弓のキスがチンパンジー以下で今時中学生でもしない稚拙なキスだと言っ――たたたたた!
だから何の前触れもなしに攻撃をするのは止めてくれって」

脇腹の肉をぎゅーっと握られて樹は悲鳴を上げた。
痛みで身を捩じらせる樹の上で麻弓は声を低くする。

「チンパンジーは言ってたけど中学生は出てないでしょうが」
「ふむ、突っ込みどころとしては間違っていないんだけれど、人間ではなくあえて動物の方を肯定するとは……麻弓、実は自分でもなんとなく理解はしているのかい?」
「な・に・を、理解していると言いたいのかしら?」
「そりゃあ当然、麻弓が野生動物も平伏し……ギブ、流石に麻弓、それは、ちょっ、痛い痛い」

今度は太股の内側。親指と人差し指でぎりぎりと肉を捻り上げる。
未だ目を押さえたままの樹を見下ろしながら麻弓は言った。

「なんか目を塞がれてろくに抵抗出来ない緑葉くんを弄るって、癖になりそうで怖いわー」
「一種の目隠しプレイ、ってやつだね」
「余裕じゃない。それじゃあもうちょっときつくいってみましょーねー」
「いや、待ってくれないかい? 俺様、緊縛と一緒でするのは好きだけどされるのは――」
「さあさあさあさあ、ほらほらほらほら、それそれそれそれ」
「がは、ま、つ、抓りながら、く、擽るって、そんな、痛みとこそばゆさの二重奏も悪くな、いや、ちがっ、これ、か、勘弁、あ、新しい世界の、扉がー」

脇腹を左手で擽られ、太股を右手で抓られて、くすぐったさに顔を緩めればいいのか痛さに顔を顰めればいいのか。
背反する二つの感覚が同時に身体を走るおかげで顔面と身体の筋肉が緊張と弛緩でえらいことに。目も見えないせいでその効果はさらに倍。
自分の下でばたばたと身動ぎする樹で暫し遊んだ後、麻弓は上下する彼の胸に両肘を付くと、その手の平に顎を乗せて深い溜息を漏らしながら愚痴る。

「ったく、あんたと話してると全然本題に入れないのよねー」
「それは、俺様だけの、せいじゃ、ないと思うけど、ね……」

漸く痛みとむず痒さから解放され息も絶え絶えな樹。しかし減らず口はそのままに。

「もとはといえばあんたが何時も余計な茶々を入れるから――ああ、駄目駄目。これじゃまた繰り返しだわ」
891 名前:786[sage] 投稿日:2006/01/24(火) 23:18:40 ID:sKnx5wOq
首を振ると麻弓はまだ暗闇からは開放されていない樹に言い含めるようにして、樹の唇に人差し指を添えた。

「いーい? 麻弓ちゃんはあ、ほんの数週間前、誰かさんに唇を奪われちゃうまで、生まれてこの方一度もしたことなんてなかったのですよ。キスなんて。
あのときのが本当に正真正銘混じりっ気なしの純ファーストキスだったわけ」

まあそのときの経緯は置いてくとして。

「そんな無垢でピュアだった……今もだけど、麻弓ちゃんにそーいう技術を求めるなんて、お門違いもいいとこなのですよ。
そりゃあ緑葉くんみたいに、そういう経験が沖縄の砂糖黍畑並みに豊富で、口付けなんて挨拶程度にしか思ってない人にしてみれば、出来て当たり前なことだとしても?」

言っていて胸の辺りがムカムカしてくるのは決して嫉妬なんかではないと言い聞かせながら。
この男の唇は私のに触れるまでに一体どれだけの女性のそれと接して来たのだろうか、
いや、こいつのことだから多分、唇だけじゃなくてもっと色んなところに触れてきたんだろうな、と思う。
今までも十分考えることが出来たはずの問題。無意識のうちに避けようとしていたのは否めない。
だが考えたところでどうにもならないのも事実。全ては過ぎ去った出来事であって取り返しは付かないし当然ながら改変も不可。
ただやはり、どんな風に触れていたか気になるのは麻弓も女の子だから、なのだろう。

「……だったさ」
「……はい?」

自分以外の女性と樹が唇を合わせる光景を想像し悶々としていた麻弓の耳が囁くような樹の言葉を捕らえる。
そして鼓膜を振るわせ脳に電気信号となって届いたその言葉の意味を解読し、麻弓の脳は一瞬、まるでそれが鍵だったかのように理解することを停止した。 
同時にそれまで広がり続けていた卑猥な妄想も瞬時に霧散する。

「あの、緑葉くん? 今なんて言ったのかしら?」
「だから、俺様だってあのときが初めてだった、って言ったのさ」

先程耳が拾ったものと寸分の違いもなく同じ言葉。やはり麻弓の聞き間違いなどではない。
相変わらず目を腕で覆っているためにその心意を読み取ることが出来ないが、声の調子からいって恐らく嘘や冗談でないことは確かだと思う。
思うのだが、それにしても。

「ええーっと……緑葉くんが言うあのときっていうのは、産婦人科のお姉さんのこと? 出産のときに出会い頭でやっちゃったー、とか」
「生憎と、出産時の映像記録が大事に撮ってあるんでね。それを見る限りだとそんな事実は映ってないかな」
「そ、それじゃあ、小さいときに友達と遊んでて興味本位で何の知識も持たない幼女にかましちゃったー、とか」
「麻弓と会うまで友達と呼べる存在なんていなかった、って前に言わなかったっけ?」
「と、友達じゃなくても何かの弾みか好奇心かなんかで近場の女の子を襲っちゃったー、とか」
「心外だね。この史上でも類を見ないモラリストの俺様を捕まえてなんてことを。この緑葉樹、同意もなしに女性の唇を求めるなんて下衆な真似はしないさ」
「え、えーと、うん、じゃあこういうのは――」
「俺様は一歳以降の記憶はほぼ保持しているけどね。どれだけ遡っても、家族以外に唇を触られた覚えはないかな。あの日、麻弓とするまでは」

しれっと。本当に淡々と。
樹にとっては、極々些細なただの事実を。
麻弓にとっては、今までの自分の認識が根底から覆されてその上からハンマーで叩き付けられたような重大な告知を。
ぐわんぐわんと殴られたかのように左右に揺れる頭を、麻弓は必死にニュートラルな状態に戻そうとする。

「あ、あのね、緑葉くん。そりゃあ私だって女の子ですから? ファーストキス同士っていうに憧れてないって言ったら嘘になるけど、
別に初接吻至上主義者ってわけじゃないんだから、気を使わなくてもいいのですよ? それにそんな憧憬、あなたと付き合うって決めた時点でとっくのとーに諦めてるんだから」

信じられない、というのが正直な話。というか脳がその事実の受け入れを拒否している。情報受付口のシャッターはピシャリと降りたまま開く気配をまったく見せない。
892 名前:786[sage] 投稿日:2006/01/24(火) 23:44:33 ID:sKnx5wOq
収拾がつかなくなってきたorz
>>826さん
管理人乙です。修正の方ありがとうございました。

 [戻る]