273 名前:1スレ786[sage] 投稿日:2008/01/17(木) 23:38:17 ID:ZnlxMV2b
保守代わり
274 名前:麻弓×樹 4[sage] 投稿日:2008/01/17(木) 23:40:49 ID:ZnlxMV2b
 懐疑的な麻弓の言いように怯むことも茶化すこともなく、樹は溜息一つと共に変わらず続ける。

「こんな意味のない嘘を吐いたって誰に何のメリットもないと思うけどね。むしろ、俺様的には今後のアイデンティティーに関わる自爆という名の超デメリットだよ」
「いや、だって、その、ねえ、自分が言っていることをよーく考えてみるのですよ?
緑葉樹がキスを経験していなかった、ってそれ一流シェフと謳われてた人が実は料理したことありませんでしたーとか、高名な教授が論文を発表したことありませんでしたーとか、
有名AV男優が性行為をしていませんでしたーとか、そーいうのと同じだって分かってる?」

 誰しもが他人に対して抱くある種の固定観念。それは初対面で得たときのまま継続するものもあれば、共に生活をしていく中で培われていくものもある。
 こと緑葉樹に関していえば前後者ともに該当するだろう。病的なまでの女性嗜好者、というのが彼を知る者ならば誰もが共通して持っている普遍的なイメージだ。
 彼の特徴を述べよ、と問われれば十人中十人が例外なくこう返答するに違いない。いわば彼そのものといっても過言ではないのだ。
 何より自らが公言している。好きな動物は? との質問で女性、と間髪入れずに答える男性はいくら女好きといえどそうはいないだろう。

「随分な言われようだねえ。まあプロフェッショナルであるという点では一致してるかな。最後のは一部物議を醸し出すだろうけれど。
でも、その人達は皆、それを生業にしている人達、だろう。俺様とはその点で異なると思うけれどね」
「で、でもね、こっちみたいに本性を知っている立場としてはまったくちっともさっぱり理解出来ないんだけど、あんたの場合、向こうからのアプローチも半端じゃないでしょうが」

 ただの女好きな男なら世の中には大勢いる。というか、大なり小なり、女性に興味のある男性の方が圧倒的多数を占めるだろう。
 彼の場合は少々、いやかなり過剰な点があるにしても。
 しかし、その多数の中でも女性からも支持される男性となれば話は変わってくる。いくら男性側が女性に迫ろうとも、その男性に何らかの魅力がなければお話にならない。
 だが、緑葉樹はその魅力をいくつも擁している。おそらく重要度では上位に位置するであろう容貌容姿についても、モデルやタレントと比較しても何ら遜色はない。
 顔形が全てではない、というのも当然な意見だが、それが異性に伝わる魅力においてまったく影響を及ぼさないかといえばそんなわけはなく。
 これに加え、学業の面でも時代の先端を行く生徒達の頂点に入学時から君臨。
 運動については、調子の波に左右されることが多々ある(主に応援してくれる女性の数に比例して)ものの、同年代と比較すれば頭一つ飛びぬけているのは誰もが認めるところ。
 女性好きを自ら公言するだけあって、人当たりのよさ(女性限定)、気配りなどにおいても(あくまで女性限定で)抜かりはない。
 と、これだけならば一寸の隙もない完璧超人だが、周知の通り女性に対する節操のなさと自分が興味の無いことに対するいい加減さがその利点を全て無に帰すのである。
 だが、遠目に見ている分には身近なアイドルと言えるし、上辺だけの付き合いである女性たちからはその風貌ゆえ人気が高い。

「まあ当然だね。これだけの美貌を有していれば、そうならない方が可笑しいってものさ」
「はい、じゃあさっきのは詐欺師特有のただの戯言ってことで――」
「でもキスしていないこととそれは関係ないと思うんだけれどね?」

 緑葉樹がキスをしていなかった、と言われ、それを理解するためには果たしてどれだけのイメージを拭い去り、いくつの情報を用いて新たな印象の構築を行わなければならないか。
 今、麻弓の頭の中で行われている作業の難解さを説明するのはそう難しいことではない。
 ただ、唯一例外的に麻弓だけは、その払拭困難なイメージを塗り替えることの出来る情報を所持しているのだけれど。

「えーと、てことは、つまり、それはどう解釈したらいいのかしら?」

 かといって、所持している情報が自動的に纏まってくれないのが現実。
 特に麻弓の場合、その前提にある払拭しなければならない染み付いたイメージは付き合いの長さに比例して更に頑固さを増しているからなおのこと。
 同じ人物の、新旧まったく異なる印象の鬩ぎ合い。
 それは、乱暴だったおとっつぁんは実はとても家族思いだったんだよ、と父の死後、母親に告げられた少女の心情風景、と似ていなくもない。
 自分の内部で合致してくれない、どころか、対極の位置にあるそれ。重なるとまではいかなくても、距離を縮める方法はさていかに。
275 名前:麻弓×樹 4[sage] 投稿日:2008/01/17(木) 23:42:12 ID:ZnlxMV2b
「素直に受け取ればいいと思うよ」

 明らかに混乱している様子の麻弓に樹はまたものほほんと言い放つ。
 素直に。
 そこから導き出される解答は確かにある。けれどそれはあくまで一般例だ。
 緑葉樹という捻くれ規格外に適用するとは到底思えないし、また信じられない。

「いや、無理、だから。だってあんたのことだからどーせまた嘘かもしれないしというかその確率の方が高いし」

 生憎と、事実の真意を探りながら会話をこなせるほど麻弓は器用ではない。樹に対する応答はほとんど反射的なもの。
 情報処理を担当する部屋は現在緑葉樹に関する情報の処理でいっぱいいっぱいのため開店休業中なのだから仕方ない。
 その様子を見かねたのか、樹は変わらぬ微笑で言った。

「うん、わかった。別に信じなくても構わないよ」
「うんわかった別に信じなくても構わないのね……って、は?」

 復唱、と同時にそれは脳が用意した自動返答文句の最上位でもあった。

「どういうこと、それ?」
「言葉通りの意味だけど?」

 信じなくても構わない。ということはつまり、麻弓以外ともキスをしていた、ということ。そう思われても、別に構わないということ。

「それは私以外の女の人ともキスをしていた、ってことを認めるってことよね?」
「認めるも何もしてないから、本当は認めようがないんだけれどね。でもどうやら麻弓は信じられないみたいだからさ。
なら、それは別に大した問題じゃないから、どう思ってても構わないってことだよ」

他人とのキスの有無は取るに足らない事実。
ようやく物事の整理がついてきた麻弓は平静さを取り戻す。

「じゃあ、あんたにとって大した問題ってなんなわけ?」
「……あえて言わなくとも察せられると思うんだけれどね」

 樹は今日はじめて言葉を詰まらせた。そこに垣間見えた滅多に出さない本音の片鱗。見逃すわけにはいかない。

「無茶言わないで。ちゃんと言葉にしてみなさいよ」
「そのあえて言葉にしない部分を読み取って頭の中で色々と思惑を巡らせるのが恋愛の醍醐味だと思うのだけれど?」
「そんなどっかの青春漫画家みたいな手法じゃ伝わらないのよ。それに――」

 麻弓は語気を弱めると、樹のタンクトップをきゅっと握った。

「ちゃんと、緑葉くんの口から聞きたいの」
276 名前:1スレ786[sage] 投稿日:2008/01/17(木) 23:45:43 ID:ZnlxMV2b
以上。もう最後に上げてから二年も経ってるのか…。
ちなみに完結の目処は未だに立っていません。

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